パラグアイに行くと、
「何曲新しい曲を覚えられるか」
「どれくらいレパートリーを増やせるか」
ということを目標にする人も少なくありません。
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けれど、正直に言うと、
“曲を覚える”だけなら、いまの時代は日本にいても十分にできます。
YouTubeにはたくさんの演奏動画があり、
耳コピもできますし、手元の動きも目で追えます。
日本で先生に習えば、ドレミを言ってもらえますし、
弾き方のコツも言葉で丁寧に教えてもらえます。
効率だけを考えるなら、その方が早い場面も多いでしょう。
実際、パラグアイの先生たちは
「見て、聞いて、覚える」というスタイルが基本です。
音名や弾き方を細かく言ってくれることはほとんどなく、最初は戸惑う人も多いと思います。
それでも、私がパラグアイへ行く意味があると思っているのは、
曲を覚えるためではありません。
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生の演奏を“浴びる”こと
現地の奏者の演奏を、
動画ではなく「生」で浴びる。
その体験は、まったく別物です。
音の大きさや柔らかさ、
流れや響きの方向、
身体の使い方、
呼吸のリズム、
間の取り方。
そういったものは、
映像や言葉では、どうしても一部しか伝わりません。
けれど、同じ空間で見て聴いていると、
ある瞬間ふっと、
身体の奥が目を覚ますような感覚が起きることがあります。
「あ、こういう響きなんだ」
「こういう流れなんだ」
と、頭で理解する前に、
身体のほうが先に反応してしまう。
私は、これこそが
パラグアイで学ぶ一番の意味だと思っています。
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技術ではなく、“感覚の種”を持ち帰る。
現地で得られるのは、
完成した技術や、すぐに再現できる答えではありません。
けれど代わりに、
身体の中に残る“感覚の種”を持ち帰ることができます。
その種は、日本に戻ってからの練習の中で、
ある日ふと芽を出します🌱
動画を見ているだけでは気づかなかったこと、
今まで何度も注意されてきたのに
腑に落ちなかったことが、
突然つながる瞬間が来る。
それは、「曲を何曲覚えたか」では測れない学びです。
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何曲覚えたか、ではなく
パラグアイでの学びは、
“成果”がすぐに数字で見えるものではありません。
けれど、
演奏の質や、音の感じ方、
身体の使い方の根っこに、
静かに影響し続けます。
だから私は、
「何曲覚えられたか」ではなく、
「本場の音を、生で浴びて
自分の身体が、何に反応したか」
そこを大切にしてほしいと思っています。
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